聖子の日記

恋人の聖司くんのことばかり考えてしまう聖子です。

初めて幸せじゃない気持ちになった日の考察

あなたと時間を共有して過ごしてきたこれまでの間、
私は一瞬たりとも幸せ以外の気持ちを感じたことがなかった。

お互いの家に帰る瞬間以外はずっと楽しくて輝いていた。

この前、夜ご飯を食べた帰り、なんだか聖司くんは元気がなかった。

そういえば夜ご飯を食べている間もその前に電話していたときもなんだか元気がなかった気がした。

この前の電話していた最中、いまなにしてるの?って聞いたら曖昧な返事が返ってきた。なんだか気まずそうだったのを覚えている。
思い返せばそのときナーバスになっていたのだろうか、と思う。

帰りの車の中、あなたは停めた車のなかで、詩を私に書いてくれた。

内容は、私たちの馴れ初めのこと、私たちが再開するまでに聖司くんがしてきたこと、が書かれていた。

それは私が、前回の聖司くんの誕生日のときのデートで、彼に送った手紙の内容と一致していたので、アンサーだということがわかった。

それはとても抽象的だった。

なにを伝えたいのか?と思った。

詩は途中だった。

それは起承転結の承で終わっているような。

聖司くんが私と再開するまでになにをしていたか、が抽象的に書かれて終わっていた。

「私はあなたを見失って、道を間違えてしまったのでした」と。

感想はでてこなかったけれど、聞きたいことはでてきた。

私は、自分でいうのもなんだけれど、結構勘がいい方なのだ。

なんてひどい人だろうか。と思った。
私から、このフレーズの意味を、あなたに問わないといけないのだろうか?

未完ですけど、と聖司くんはいいながらこの詩を私に渡してきた。

せめて完結してからにしてほしかった。

このあとちゃんと転と結があって、私たちは幸せになりました、って言って欲しいのに。

私はそれから涙が止まらなくなってしまった。聖司くんはなにも言わなかった。

「私はあなたと離れていた間、他の女と付き合っていました」

それだけ言われたのと同じだ。

だからなんなのか。

それを言ってほしかったのに。

私は結構、合理主義な面も持っている。

意味のない生産性のないネガティブな会話はあまり得意じゃない。

私はこれを読んでなにを思えばいいの?ただ、こんなことをしてましたよ、って報告して自分の中の罪悪感を滅ぼしたの?言葉では言いにくいからぼかして詩にしたの?この詩からなにが生まれるの?

付き合ってる人がいました、なんて言われて良い気なんてしないけれど、それよりも聖司くんの行動にショックを受けてしまった。ごめんね、とだけ言われても、だから?と思ってしまうのが私なのだ。あなたがどうやって報われようとするのかが知りたいのに。

それから私が泣いていたら、聖司くんは「苦しませてごめんね」と言った。
ふざけるなと思った。
「あなたもくるしい?」って聞いたら、「聖子ちゃんの方が苦しいよ」と言われてしまった。むかついた。なんでだよ。私を苦しめた苦しみであなたがもっと苦しんでくれ。
「あなたのほうが苦しいのがいい」って言ったら、聖司くんは頷いてたっけ。

しばらく話をした。

弱い人間でごめんね、甘えてごめんね、と聖司くんは泣いていた。

それが聞きたいんじゃないよ、と私はいった。

でも聖司くんは私が欲しい言葉を言ってくれなかった。

「自分がしたこと、間違えたと思う?」

私は意地の悪い質問をした。

「今思うと間違えてたと思う、後悔してる」

あなたは少し黙ってから、そうやって言った。

「そう思うなら、そんなこと忘れるくらい私のことを大好きになってほしい」

私は優しいな、と自分でも思った。

聖司くんは泣いていた。

ずっと一緒にいてくれる?、私には聖子ちゃんしかいません、ってあなたは言っていた。

私は、幸せにしてくれる?でもその幸せはあなたと一緒がいいし、あなたの幸せも私の幸せと同じがいい、と伝えた。

幸せにする、一緒に幸せになる、ってあなたは返してくれたけれど、本当は、あなたの言い方で、あなたの考えで、この答えが聞きたかったな。

私はこの出来事があってからなぜか涙がとまらなくなってしまった。
1人でいるときはほとんどずっと泣いている。

どうして涙が出るのかもうあまりわからない。

他のことをしているときにこのことについてふと考えると、些細なことに思える。私が当事者ではなかったら、そんなのごまんとある話だよ、と思う。

私は、あなたから離れていた間、あなたのことを忘れたことはなかった。あなたのことを想う感覚は僅かにでもずっとあったのは事実だ。
けれど私も、他の人間と恋愛的な関わりがなかったわけではない。

深く考えず付き合ったこともあった。人から好意を寄せられることがあれば、自分には気持ちがなくても2人で遊んだり一緒にいたりした。そのあと距離が近くなったら距離をおいて相手の気持ちを往なした。
そういう行動の原因は3つあると思う。私は、自分の意思よりも相手の気持ちを勝手に考えて優先するよくない性格だから、それと18のとき、恋愛感情のない他人に体を触られて不快な思いをした記憶が蘇って、そういうことに気持ちが乗らなかったから、それから聖司くんのことがずっと頭にあったから。

こうやってしたためていると、頭が冷静になってきた。
あなたも私も、それぞれあなたと私がいない世界線に生きていたんだ。
そのときなにをしていたかは自由なのに。
恋人としての目線からその事実を見るととても悲しくなってしまうけれど、あなたを人間として捉えたときには、責める必要は全くないことだ。
だけど私はあなたの恋人だから、あなたのことが好きだから、その事実を投げつけられてしまって、とても気分が悪かったし、いまでもまだ少し気分が悪いし、不安になったし、悲しくなったし、その相手を呪いそうになってしまったし、すべてを抹消したくなってしまったし、あなたと幸せな思いをするだけだった日々は変わってしまった。
幸せだけを摂取したかった。
あなたとは幸せだけになりたいから、これからはもう悲しい涙は私もあなたも流さないようにしたいな。
あなたのことをもっと思いやってお話しをしたり行動したりしたいと思った。

これからもずっと一緒にいようね。
たくさん幸せになろうね。


食の好み

私と聖司くんは食の好みが合わなかった。


私は小さい頃からトマトが大好物だった。


聖司くんはトマトが嫌いだった。


私はパクチーが結構好きだ。


私と聖司くんとで食事に行った時、彼は初めてパクチーを食べた。トマトより無理だって言っていた。食べ物じゃないよって言われた。


私は主食ではパンが好きだ。


聖司くんはパンは主食にはならないと言う。


まるで真逆、っていうくらい食の好みが合わなかった。特に不自由は感じていなかったけれど。


今日初めて2人でファストフード店に行った。


ポテトとナゲットを2人で食べた。


私はふにゃふにゃのポテトを手にとって、「こういうポテトの方が好きなんだよね」と言った。


そうしたら聖司くんは、俺も!って言ったのだ。


初めて食の好みがあった。ファストフード店の150円で買ったポテトが、すごく嬉しかった。


ちなみにナゲットのソースは、私がマスタード派で、聖司くんはバーベキュー派だった。

お人形の話

私はあなたのお人形です。


あなたが好きな服を着ます。


あなたが好きな髪の色になります。


あなたが好きなお化粧をします。


あなたが触ってくれると喜びます。


あなたに放っておかれたら私はただの置物になってしまいます。



聖域、他人、あなた

あなたのすべてが知りたいと思うときがある。

何を食べたのか、誰と話したのか、何をしたのか、何を考えてるのか。
それに、体温や、匂いも。

詮索したくはないから、直接問いただしたりはもちろんしないけれど。

自由に生活してほしい、と思うのだ。自由に、あなたが、あなたの思うままに生きているところが、私は好きだ。

それはあなた以外の誰も、私も、干渉してはいけない聖域だと思う。

聖域を持っているあなたが好きだ。

私の日中の、薄ぼけた思考の中では、あなたの行動や思考を、一秒も漏らさず、逐一報告してくれないか、なんて思ってしまうけれど、 深く考えられる夜には、あなたが自分以外の存在をなにも気にしないで、純粋に、自分のやりたいことをやっていることの方が、よっぽど素晴らしいことに思える。

それで、私が知らない間にあなたが経験したことで、私に話したいと思ってくれた出来事があれば、たくさん私に話してほしいと思う。

私は普段、他人による「自分に全く関係がない人間関係の話」を聞くことにかなり苦手意識を感じている。他人の家族や、他人のバイト先や、他人の地元の友達の話は、正直なところ全く面白くないし、双方に意味がないと感じる。淡白だと思われるかもしれない。

だけれど、あなたの口から聞くそういった類の話は、なぜだか全て興味深く感じる。もっと聞きたいと思う。私の普段の淡白さからすると、好きだという気持ちは人を変えてしまう物凄い力のあるものなのだと気づかされる。



私が住む街

私が住む街は、近隣の駅の中で結構大きな街だ。


海と田んぼに囲まれた田舎の地元から、数年前に上京してきた。


聖司くんとは、その田舎で出会った。


上京する前、私はサブカルチャーが好きだった。


田舎には、特に面白いことはない、と感じていた。


面白くない店、面白くない同級生、面白くない教師。私は東京にばかり、1人で遊びに行っていた。


面白いことは全部、都会にあると思っていた。


見たことない景色、サブカルチャーが集まった街、奇抜な洋服、妙に冷たい人間たち、全部刺激的だった。


上京して、大学に入学した。


知らない遊びや、色んな経験をしてる同級生を見た。


最初こそ、刺激的で、新鮮な毎日、新しい自分になった気がした、けれど、自分には合わない感じがした。


人間関係のヒエラルキーを気にしている人が多かった。私は、そんなことを気にしようと思ったこともなかった。馬鹿げてると思った。素性を知らない他人のことを下に見たり、上に見たり、意味がわからない。


都会も、それほど面白いものではないと知った。


それから歳月が流れて、聖司くんと再会した。


聖司くんは、変わらずずっと地元に住んでいた。


聖司くんは垢抜けてこそいないけれど、とても穏やかで心がきれいで、そのうえ刺激的な思考を持つ素敵な人だった。


聖司くんがいれば、どこに住んでいようと、他になにもなくていいと思える。


この街に聖司くんはいない。


大きな街だから、少し歩けば欲しいものはなんでも揃う。


お洒落な洋服も、流行りのスイーツも、ここでは手に入る。


けれど、あなたがいなければ、お洒落な洋服を着たって意味がないし、美味しいスイーツも味がしないのだ。


なんでも揃うのに、なんにもない。


繁華街は、ただの、がらくただらけの街になってしまった。


私の暮らしは、聖司くんだけいてくれたなら、成立するものになった。


聖司くんがいれば、他の何事も、楽しく、明るく、煌めく。


上京する前、当時の私は、自然を愛する気持ちを忘れていた。幼少期の、自然の中で生まれ育って、自然と遊んでいた頃のことが、すっかり記憶から抜けてしまっていた。あのころ、私は心が健康ではなかった。


心が健康だと、自然を愛する余裕ができることがわかった。


視野が広くなった。


自分一人が悲しい、と思わなくなった。


自然を見て、春夏秋冬を感じるようになった。


花が好きになった。


聖司くんと出会う前から、心は回復する傾向にあったけれど、聖司くんと出会ってからは、とても精神が健康になった。


今では、はやく田舎に住みたい、と思う。


聖司くんがいるから、そして自然があるから。


都会に住んでいることがステータス、という人もいるだろうけれど、それはその人の価値観だから、良いと思う。


田舎出身ということを揶揄う人間もいるけれど、そういう人は、心が健康ではないんだな、と思ってそっとしておく。


自然に目を向けて自然を愛する心の余裕がないのだな、と思う。


都会に住んでいると、どこに行っても、忙しそうな人間がいる。心の健康を保つのには厳しい環境だと感じる。


日本の人間が、みんな、聖司くんのように心がきれいになればいいのに。


みなさんの心の健康を願っています。