聖子の日記

恋人の聖司くんのことばかり考えてしまう聖子です。

きれいな人

聖司くんはとってもきれいな人だ。


きれいと言っても、見た目ではなくて、でももちろん顔の造形も綺麗だと思うけれど、こころがきれいだ。


子供っぽいというわけではない、彼は色々知っている、けれど、それが清々しくて気持ち良いと感じさせてくれるようなきれいな人なのだ。


ときどき、彼は、彼を悩ませる友人の話を、私にする。


その、彼の友人はとても困った人で、彼がとても可哀想に思ってしまう。(これは私が彼を好きだから、贔屓しているわけではない)


どうか、誰にも汚されないでほしいと思う。


誰にも傷つけられないでほしいと思う。


ぴかぴかできらきらの彼を、そのまま守りたいと思う。


私は最近、他人に対して、公共の場で配慮がないと感じることがよくある。


無闇に人を傷つける人間がはやくいなくなればいいと思う。破滅的な意味ではなく、少しの努力で変わることだと思っている。

全員が少しだけ、配慮をすれば良いのに、と思う。


私は、仕事で重役に就いているだとか、大富豪だとかの前に、そういう品格のある行動ができる人間のほうが、よっぽど魅力的だと思う。

それができない人は、いくら社会を動かしていても、下品で浅はかな人間に見えてしまう。

結果的に自分の価値を下げることになると思う。

それになにより、気持ちが良くないと思う。


私は、肩書きが立派であろうとなかろうと、品格のある行動ができる人が素敵だと思う。

なにより、今の学生のうちは、肩書きはほとんど存在しない。

そこでいかに、きれいなこころを保てるか、が人間として意味があるものに感じる。


特に最近は、過激な行動を撮影して、インターネットに載せることが流行している。

それはとても浅はかでばかばかしく思う。

実際に、大学の同期には、そういった動画を載せている人間がいる。

以前まではよく話す友人の一人だったけれど、そういった行動が目立ち始めてからは、距離を置くようになってしまった。


類は友を呼ぶ、とはいうけれど、実際にそういった人間の周りには、同類の人間が集まっているように感じる。 


刺激を求める気持ちもわかるけれど、平和に生きることへの喜びを忘れてはいけないと思う。


聖司くんは平和主義者だった。


聖司くんが私の隣にいてくれる人で良かった。とつくづく思う。


二人だけで生きられたらいいのに、と思ってしまう。


誰にも邪魔されないで、真っ直ぐに生きたいと思う。


だれも、私たちの邪魔をしないでほしいと思う。


二人で、正直に息を吸える世界を壊さないでほしいと思う。





永遠

死にたくない、と思うようになった。


聖司くんとであう前、私は、いつ死んでもいいし、世の中を生きていくのはつらいことのほうが多い、と思っていた。それに、自分のことが心の底から嫌いだった。顔もへんだし、性格もよくないし、真面目に生きているつもりだけれど、とにかく不幸体質なのもあって、生きている意味がわからなくなっていた。


絵を描くことはいつも変わらず好きだった。けれど、それは、私の人生の中心にはなれなかった。私は、建築の勉強をはじめた。毎日、設計図とにらめっこしているだけで時間が過ぎていった。


だけどある日、また、聖司くんとであったのだ。そして、聖司くんはまた、私のことを好きだと言ってくれた。私は何年も前から、ずっと、聖司くんのことが忘れられなかったから、こんなことがあるのか、と、自分の人生の中で一番ラッキーなことが起こったので、驚いてしまった。幸せを実感するのには時間がかかった。いままでマイナスだった人生に、いきなり、買ってもない宝くじが当たったみたいな出来事が起こったのだから、幸福を受け入れるのが難しかった。


聖司くんは毎日たくさんの幸せをくれる。

はじめこそ、驚きが大きくて、受け止めることで精一杯だった。

こんな自分を好きだと言ってくれる、かわいいと言ってくれる、そんな人がこの世にいる。

何度も愛を伝えてくれた。

私から愛を伝えるのには少し時間がかかったけれど、ゆっくりと伝えられるようになった。


聖司くんと過ごす日々が積み重なっていく。

毎日が尊い

聖司くんとずっと一緒に生きたいと思った。


父方の祖母が癌で入院したと知った。

祖母のことが大好きだった。

ショックが大きかった。


大好きな人にも死ぬときが来ることを実感した。


死んでもいい、と思っていた自分が、死にたくない、と思うようになっていた。


誰にも死んでほしくない、みんな健康に、楽しく、幸せに生きてほしい。


聖司くん、絶対に死なないでください。


一緒に永遠に生きたい。


終わりなんて来ないでほしい。


いつか死ぬなんて、考えたくもない。


ずっと幸せに一緒に生きようね。



私とは


私は、私のまま、聖司くんを愛したい、と思うけれど、聖司くんを好きだ、と気がついてから、自分を見失っている気がする。

なにを考えるときも、聖司くんありきになってしまった。

聖司くんがいるから、他の何かをがんばる、という人間になってしまった。

今まで一人できちんと、生きてきたつもりだけれど、聖司くんとであってから、なんだか急に、小鳥のような私になってしまった。

それに、なにかを思うときも、必ずと言っていいほど、聖司くんが浮かんでしまう。

私のなかの形容詞の語彙の1つにも、聖司くんは入ってしまった。

例えば、ウインドウショッピングをしているとき、魅力的なものを見つけたら、かわいいとか、きれいとか、そういう、物への賛辞の前に、聖司くん、という感想を述べてしまう。自分でもこわいと思う。そうでなくても、かわいい、と思ったとしても、その次には、聖司くんに似合いそう、だとか、聖司くんは好きだろうか、だとか思ってしまう。